話は飛ばして第二言語・外国語教育から始めることにした。
こちらでは二つのケースがある。一つは自然環境においての習得。もう一つは教室環境においての学習。
こちらで問題になるものは世紀の授業の影響や役割とその結果である。その問題は以下のようである。
・正規の授業は第二言語習得を促進するか。
・もしそうであれば、どのような正規の授業が最も効果的に習得を促進するのか。
・規則と内在化と記憶が第二言語習得を促進するのか。
学習の初期の段階では習慣形成は強調されたが、特にaudio lingualismというアップローチを通じては。しかし、学習シラバスは教授淳書の相関性に基づいて構成されている。
オーディオリンガル・アプローチには、直接法系列に大別される学習法で、英語学者Charles Carpenter Friesが提唱した外国語教育法「オーラル・アプローチ」も直接法の系列に分類。
「耳と口による教授法」と呼んだ時期もあるが、Brooks以来、オーディオリンガル・アプローチという呼称が定着。この教授法においては習慣形成が中心概念である。
しかしながら、対照分析がすべてをうまく説明できなかったため、正規の授業は習得に影響を与えているのかという疑問が浮上。発達順序と発達速度は別ものとしてとらえてもよい。
これから様々な教授法が研究され、誕生した時代であった。形態素を使った教授法の研究が施されるようになった。
次は縦断的研究では、もし学習者が自分のレベルより高い技能を求められた場合、特異な形態ができてしまう。母語話者が使われていない発話が出てしまう。
自発語に関するかぎり、正規の授業は第二言語発達に影響を与えないらしい。しかし、注意を払った話し方においては影響を与える。裏を返せば、日常的な話し方にさほど影響を与えないということである。
結論として正規の教授法は特定の文法構造の習得を早めるなどの影響を与えたるかもしれないが、絶対的な効果は確認されていない。大切なことは instructuon plus exposure (L2指導+L2に触れる必要性)である。この二つのものよく混同されやすい。正規の教授は役に立つが証拠が不十分である。
動機については統合的と道具的という分け方もあり、一方は社会文化的に帰属すること目的としたもので、片方は昇進や試験に合格することなど目的としたものである。
L2の指導は習得促進に相対的にが有効だと考えられるが、動機付けにどのような影響を与えるかは明確ではない。
the non-interface positionを取ったクラッシェンは学習で得た知識は習得につながらないと出張した。習得は自動的なものである一方、学習は意識的なものである。これを受け、学習シラバスのほかに習得シラバスを作る必要があるかもしれない。これに対し、Bialystokが明示的に学習したものも練習されたら、明示的に習得されると反論した。
次は可変性の立場で、違うタスクで違った知識が得られる。
non interfaceの立場では学習と習得に接点がないと思われる。なぜなら、習得には順序にかかわるが、学習にはそうではない。しかしながら、クラスで理解可能なインプットを吸収すれば習得を早める可能性がある。この立場では学習で得た知識は習得に部分的または全般的に影響を及ぼすと考える立場で、
クラッシェンによると、学習者が現在持っている知識よりも若干上のレベルの内容を理解しようとすることは目標言語の促進につながる。
non interfaceの立場に対し、学習したものも習得につながっているというinterfaceの立場もある。クラッシェンのモニター仮設によれば、意識的に学習した知識は目標言語を学ぶ際自分の話していることや書いていることなどを訂正するために役割を果たしているのである。文法の知識は特定の目的に役立つ。
最後にfeedbackについてに種類あり、
固定的なフィードバック
否定的なフィードバックあるいは訂正フィードバック
Focus on firmS:伝統的な、訳読法や文法を有機的に練習
Focus on meaning:目標言語の洪水を浴びさせて内容を理解
wikipedia によると、クラッシェンによる仮説は五つあり、以下のようなものである:
- 入力仮説
- 現在能力やり若干高いインプットを与えることのより、外国語習得が促進される
- 習得学習仮説
- 「習得」と「学習」 は別物であり、「習得」は純粋に無意識の過程で「学習」は意識下の過程であり、言語能力の改善は「習得」にのみ依存し、「学習」に依存することはないとされる。
- 監視仮説
- 意識的に学んだ言語は、発語を監視することにしか役割を持っておらず、自発的な発語に寄与しないとされる。
- 自然習得順序仮説
- 言語は特定した順序に沿って習得されるとされる。
- 情意フィルター仮説
- 恐怖・当惑・困惑などの負の感情が学習者の言語習得能力を低下させると主張した。いわゆる、「情意フィルターが上昇した」と言う。